10月25日(水)10:30~、久保田東町内会集会所で「おらいの縁側 〜井土・種次・藤塚の写真でオモイデ話」を開催しました。
久保田東周辺には藤塚の方の他にも井土や種次、そして荒浜の方々も住んでいらっしゃるということで、こちらの会場となりました。
昨年3月から6月まで、せんだい3.11メモリアル交流館との共同事業として開催したイベント「おらほのアルバム ~縁側で見るまちのオモイデ写真~」での企画「おらいの縁側座談会」がこうして館を飛び出し、引き続き開催できていることは、わたしたちにとって大変ありがたいことです。
参加者は約10人。ほとんどが藤塚の方だったのですが、藤塚と閖上の渡し舟、五柱神社、閖上の花火など、懐かしい藤塚や閖上の写真をご覧いただき、多くの思い出が飛び出す中、みなさん笑顔で次々と話してくれたのが印象的でした。昨年6月12日にメモリアル交流館で開催した「おらいの縁側座談会 井土・藤塚編」でも聞かせていただきましたが、藤塚と閖上の近しい関係性をより強く感じてきました。
「やおやうり」(野菜を売り歩く行商の方)
「藤塚と閖上を結ぶ、渡し舟。朝、藤塚からは野菜を積んで、閖上からは魚を積んで、行き来する。学生は自転車も積んだ。」
「閖上側に船頭さんがいて、『はー』って呼ぶと来てくれた」
「乗り賃は、新米ができるとお米を渡して、それで1年間乗り放題だった」
「人も荷物も乗りすぎて、舟が沈むくらいになって、水が入ってきたこともあった」
「洋服屋さん、パーマ屋さん、写真屋さん、お医者さん、映画館、サーカス…閖上にはなんでもあった。都会だった」
「藤塚だけでの運動会もあった。6班の班対抗で、全員参加するから家が空っぽになった」
「五柱神社で1カ月も練習した。雑草の根っこに足をひっかけて転ばないように走った」
「五柱神社のお神楽があった。神楽殿はこどもの遊び場」
「閖上の港まつりの花火、真向かいの藤塚は見学スポットで、車が渋滞になった。」
などなど、参加者の方の中には、96歳、95歳、93歳と…大切な思い出話しをたくさん聞かせていただきました。帰り際、「楽しかったよ」「こんな話しでよかったの?」(いえいえ、こういう話しが聞きたいのです!)などあたたかいお声をかけていただきました。
今回は、ライターさん2名に加え、青陵中学校の職場体験の男子2名にも参加いただきました。
東海林義一会長、コーディネートありがとうございました。そしてご来場いただいたみなさま、ありがとうございました!
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主催:せんだい3.11メモリアル交流館
協力:3.11オモイデアーカイブ
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「おらいの縁側」は次回、高砂市民センターで「和田新田編」12月5日(火) 13:30~の予定です。